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アメリカ初の医療大麻ディスペンサリー“サンフランシスコ・バイヤーズクラブ”を振り返る

80、90年代アメリカ、人々に恐怖を与えたニュースは温暖化や核戦争、テロリストの報道ではなく、AIDSだった。

著者はまだ子供だったので具体的な報道内容は覚えていないが、LGBTコミュニティーの方々にとっては忘れられない時期だったであろう。サンフランシスコでアダルトショップ「Good Vibrations」を営むジャッキー・ストラノ氏はLGBTのメッカとも言えるカストロ地区で、多くの友達がAIDSによって亡くなったと話す。18番通りとカストロ通りの交差点には、その病によって命を無くした人々の写真で埋め尽くされる程だった。現在その写真も面影もなく、レインボー色に塗装された横断歩道と旗の周りにバンカメとウォールグリーンが建っている。

当時、数十万人にも登ったAIDS患者に救いの手を差し伸べた一つの団体があった。その団体は“サンフランシスコ・バイヤーズクラブ”、救いの手はカンナビスだった。おそらくカルフォルニアの1996年の医療大麻合法化に向けてサンフランシスコ・バイヤーズクラブ程重要な役割を果たした者達はいない。結果的にサンフランシスコ・バイヤーズクラブはアメリカで初めての医療大麻ディスペンサリーとなり、アメリカの大麻合法化の道を切り開いたのだ。

サンフランシスコ・バイヤーズクラブは194チャーチ通り沿いに大麻活動家デニス・ペロン氏によって1992年に立ち上げられた。自身がゲイであるペロン氏は周りのAIDSに苦しんでいる友達を助けたい一心でクラブを作ったが、当時アメリカは麻薬戦争の真っ只中。法律を完全に無視していたサンフランシスコ・バイヤーズクラブのメンバーには危険が伴った。ペロン氏は「ブラウニー・メアリー」ことメアリー・ラスバン氏(彼女は大麻入りブラウニーを焼いてAIDS患者に配り歩いた)と手を組み、抵抗運動とロビー活動を行いサンフランシスコ市のプロポジションPとその後プロポジション215の成立に大きく貢献した。この貢献がその後のカルフォルニア医療大麻の合法化に繋がったのだ。さらにこの動きは当時に医学会にも影響を与え、HIV患者に対するカンナビノイドの研究もサンフランシスコで始まった。

成功を収めながらも、彼らは常に危険と隣り合わせだった。ピーク時には9千人のAIDS患者に大麻を提供していたクラブのペロン氏はプロポジション215の投票が始まる数週間前に逮捕されたが、このタイミングは医療大麻にネガティブなイメージを与えプロポジションを否決にするプロパガンダ的な動きだと広く認識されている。生涯でラスバン氏は3回、ペロン氏は4回逮捕された上に警官に足を撃たれている。ラスバン氏は1999年に、ペロン氏は2018に亡くなった。サンフランシスコ・バイヤーズクラブはサンフランシスコの上級裁判官によって1998年に閉鎖されたが20年を経た今、着実に大麻合法化の動きが国内に広がっている。その動きも、CBDの研究が進んでいるのもペロン氏やラスバン氏を始めとするLGBTコミュニティーの名もなき人々のおかげだということをまず認識する必要がありそうだ。

元記事:

https://www.leafly.com/news/lifestyle/san-francisco-cannabis-buyers-club-nations-first-american-dispensary

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